鼓次郎というものです。
今日で約4ヶ月弱滞在したロシアを後にする。今空港で飛行機を待ちながらこれを書いています。
月並な言い方をすれば、短くも長くも感じる。
海外に初めて長く住んだが、感想としてこれまた月並だけど、とても楽しかった。
今年の冬は例年にない位の暖冬だったらしい。多分1番寒くても−10度位にしかならなかった。そして体感的に東京の冬より暖かかった。
1月に来て、2月に大学に入学した。
プーシキン大学という語学学校。先生も大学職員の方もクラスメイトも素敵な方々ばかりで、とても充実した時間。
しかしながらロシア語の奥深さと自分の頭の悪さに愕然としたりもした。
3月になって、コロナの影響で学校に行けなくなった。4月の留学終了までオンラインのみの授業で最後の挨拶がメッセージになってしまった事がとても悲しかった。
生徒毎に滞在期間が違うのと、恐らくコロナの影響で帰国が早まってしまった子達もいた。
いつかまた会えたらいいなぁと強く思う。
大学にはコロナが落ち着いたら改めて挨拶しに行くつもり。売店でいつも優しくしてくれたおばちゃん、いつも僕がアメリカンコーヒーを頼む事を覚えてくれていて、たまに飲みたくない時にもアメリカンは?と聞いてくれてそれは断りづらくていつも飲んでた笑
ロシアでの生活は驚く事も勿論沢山あったが、それ以上に感動する事が多かった。
主に人の優しさ。
スーパーで買い物をしている時、わからない事があって戸惑って居ると、必ず誰かが助けてくれた。
街でおばあちゃんが大きな荷物を持っていたら、必ず若者が手を差し伸べていた。
初めて行った酒屋のオーナーに、日本から来たと言うと、驚きながら手作りの唐辛子のジャムをくれた。
森で太鼓を叩いてた時に拍手をくれて、声をかけてくれたおじちゃん。
こう考えるとモスクワに滞在して真っ先に思い出すのは、ささやかな喜びだったり、心が少し暖かくなる人の行動だ。
勿論街並や、芸術や、歴史の美しさや、うわぁロシア!というようなビックリエピソードも沢山あるけど、ロシアが素敵な理由は断然人々です。
初めての「外国人」としての生活。
差別も一度も受けなかった
(一度だけ地下鉄で酔っ払いに髪型を馬鹿にされた、あれはマジで悲しかった笑、それくらい)。
みんな人懐こくて、困っている人がいたら放っておけないみたい。
僕みたいな外国人に、普通におじちゃんおばちゃんとかが話しかけてくる。しかもめっちゃロシア語で。笑 すごくないですか。
日本だと英語が喋れる!って人以外は外国人にそこまで話しかけないだろうし、見て見ぬ振りをするだろうから。
ロシア人の見習いたい所は沢山ある。
こうやって素直に生きられたらなぁと思っている。これは日本に帰ってからも必ず覚えておきたい。
勿論ダメな所も沢山あるけど、それも含めて可愛らしいと思えるのは、まだ僕がロシアの事を深く知れてないからなのか、それとも更に好きになるのか。こればかりはわからないがもっと知りたいと思う。
そして、ロシアに住んでいる、滞在している日本人の方もそういうロシア人の気風にとても近い気がしている。
前の記事にも書いたのだけれど、
今回の帰国はTwitterで色んな人に助けられての実現。
見ず知らずの人ばかりなのに、みんなが困っている人には手を差し伸べ、情報交換して、ダメな事には一緒に怒る。
これは凄く素敵な事だと思う。
人間味のある方が多いんだろうな。
いつか会ってみたいなって人が沢山いる。
次回来た時には飲みに行きたい。日本でも会いたい。
とりあえずこれから帰国して、その後2週間の自宅隔離に入ります。
このブログのタイトル、
「ロシアから出れない」
だったのですが、今日とうとう帰国します。
が、
精神的にロシアの虜
になってしまいました。
ので今後も僕の心はロシアから出れないでしょう。
引き続きこのタイトルで続けます。
第一章完という事です。
第二章は、コロナが落ち着いてロシアVISAが取れるようになり次第行います。
次は
必ずライブをやる事
そしてちゃんと
ロシアで仕事を出来る様にする事
が目標。
帰国してからも今回の思い出を書いたりしようと思っております。
今回出会った人の全ての健康を祈っている。
そして一刻も早くロシアでのコロナが収束する事を。
必ずすぐにまた戻ってきます。
HAJIME KOJIRO
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日記的に毎日音源を作ってupしてますので、是非とも。
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